和歌山 美浜町 台湾料理 千恵 [旅★和歌山]
和歌山に行きました。
夕陽がきれいそうです。
海が綺麗でした。
ランチ
辛くない普通のとんこつにしました。美味しかったです。
観光することも無く帰りました。
おしまい。
日前神宮 國懸神宮に行きました。 紀伊の国一宮 [旅★和歌山]
日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀しております。(説明文より)
これで和歌山御朱印巡り終わりです。
おしまい。
これで和歌山御朱印巡り終わりです。
おしまい。
伊太祁曽神社に行きました。 紀伊の国 一宮 [旅★和歌山]
次は、伊太祁曽神社 (いたきそじんじゃ)に行きました。ここも一宮です。
和歌山の神社は歴史がある為か、読めないです。。
http://itakiso-jinja.net/keidai.php
伊太祁曽神社は我が国に樹木を植えて廻ったと 『日本書紀』 に記される 「五十猛命(いたけるのみこと)」 を祀る神社です。植樹神五十猛命は一般には「木の神様」として慕われています。そのため、全国の木材関係者のお詣りが多い神社です。(説明文より)
桜の木 春になれば綺麗に咲くこと間違いないと思います。
つづく。。。
和歌山の神社は歴史がある為か、読めないです。。
http://itakiso-jinja.net/keidai.php
伊太祁曽神社は我が国に樹木を植えて廻ったと 『日本書紀』 に記される 「五十猛命(いたけるのみこと)」 を祀る神社です。植樹神五十猛命は一般には「木の神様」として慕われています。そのため、全国の木材関係者のお詣りが多い神社です。(説明文より)
桜の木 春になれば綺麗に咲くこと間違いないと思います。
つづく。。。
高野山金剛峰寺に行きました。 [旅★和歌山]
高野山に行きました。
ブラタモリでも取り上げられました。
高野山は、平安時代のはじめに空海(弘法大師)によって、開かれた日本仏教の聖地です。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。(説明文より)
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。(説明文より)
拝観料を払って中に入ります。
お茶とお菓子のサービスもありました。
広いお寺でした。
台所 すごく広かったです。
井戸があって水が汲めるようになってます。
竈もすごい大きさです。
鏡餅を自由にお持ち帰りくださいとのこと。
つづく。。
つづく。。
丹生都比売神社に行きました。 紀伊國一宮 [旅★和歌山]
祀られている当社「丹生都比売神社」、金剛峯寺の荘園であった官省符荘の鎮守社として建立
された「丹生官省符神社」、金剛峯寺の建設と運営の便を図るため政所として山下に建立された
「慈尊院」からなる一帯が世界遺産に含まれます。(説明文より)
この4つ全部行きました。
御朱印ももらいました。あまり並んでませんでした。
続く。。。
丹生官省符神社 慈尊院 に行きました。世界遺産 [旅★和歌山]
九度山は高野山起点の地です。
慈尊院↓ 世界遺産です。
空海の母公は、高野山が女人禁制だったため九度山に滞在。母公没後に
弥勒菩薩像と母の霊を安置したことから弥勒菩薩の別名 慈尊院と
呼ばれるようになり、高野参詣道の起点となったそうです。
慈尊院↓ 世界遺産です。
空海の母公は、高野山が女人禁制だったため九度山に滞在。母公没後に
弥勒菩薩像と母の霊を安置したことから弥勒菩薩の別名 慈尊院と
呼ばれるようになり、高野参詣道の起点となったそうです。
丹生官省符神社 にうかんしょうぶじんじゃ 読めないです。。。
http://niujinja.sakura.ne.jp/
119段の石段です。空海によって816年に創建されました。
ここから高野山まで約20kmの徒歩8時間の起点になってます。
つづく。。。
紀州九度山 真田昌幸 幸村(信繁) 蟄居 真田庵 [旅★和歌山]
旅log をはじめてから和歌山の記事無くて、近畿で和歌山だけが記事が無くて
行きたいと持ってたのですが、今回やっと行くことが出来ました。
朝7:00に家を出発です。
九度山に着いたのが9:30くらいでした。
無料駐車場がありました。
真田庵 http://www.kudoyama-kanko.jp/midokoro/spot01.html
善名称院、真田庵とも呼ばれ、真田父子の屋敷跡に建てられたお寺。本尊に延命子安地蔵菩薩を祀り、かつてはお地蔵さんとして賑わいをみせたこともあったそうです。
行きたいと持ってたのですが、今回やっと行くことが出来ました。
朝7:00に家を出発です。
九度山に着いたのが9:30くらいでした。
無料駐車場がありました。
真田庵 http://www.kudoyama-kanko.jp/midokoro/spot01.html
善名称院、真田庵とも呼ばれ、真田父子の屋敷跡に建てられたお寺。本尊に延命子安地蔵菩薩を祀り、かつてはお地蔵さんとして賑わいをみせたこともあったそうです。
関ケ原の戦いで豊臣方に付いたため、徳川軍に高野山に蟄居(ちっきょ)を命じられ、
信州上田城より紀州へとやってきました。高野山での生活は寒くたいへんだったため、
麓の九度山町で生活したのではないかと言われています。
上田城(昌幸の城)↓
https://net-de-mile.blog.ss-blog.jp/2011-02-02
真田丸(大坂城の出城)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2016-12-07-1
岩櫃城(真田の城)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2017-04-30-1
小松姫のお墓(信之の妻)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2016-12-24-1
沼田城(信之の城)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2017-09-05-2
信繁戦死の地↓
上田城(昌幸の城)↓
https://net-de-mile.blog.ss-blog.jp/2011-02-02
真田丸(大坂城の出城)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2016-12-07-1
岩櫃城(真田の城)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2017-04-30-1
小松姫のお墓(信之の妻)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2016-12-24-1
沼田城(信之の城)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2017-09-05-2
信繁戦死の地↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2016-12-08
真田丸では 真田昌幸(草刈正雄) 信繁(堺雅人)
屋敷があったそうです。
昌幸はここで亡くなられたのでお墓があります。
真田丸では 真田昌幸(草刈正雄) 信繁(堺雅人)
屋敷があったそうです。
昌幸はここで亡くなられたのでお墓があります。
幸村(信繁)という名は史実には出てこないそうです。
真田十勇士もフィクションだそうです。大助は
真田十勇士もフィクションだそうです。大助は
信繁の子供です。
おのおの方、抜かりなく!(昌幸のセリフ)
真田庵の境内にある、土蔵作りの資料館。
中には、真田家に関するもの、当時お泊りになった天皇のもの、大安上人に関するものなどが展示されています。
入館料:200円でした。
真田紐
六文銭は真田家の家紋 三途の川を渡る時の渡し賃で現代の50円×6=300円だそうです。
これを持っていればいつ死んでも三途の川を渡れるそうです。いつでも死ぬ気で戦ってる
という意味でしょうか。
ここに行けただけでも、和歌山の旅に来てよかったって感じでした。
明日に続く。。。