旅log をはじめてから和歌山の記事無くて、近畿で和歌山だけが記事が無くて
行きたいと持ってたのですが、今回やっと行くことが出来ました。
朝7:00に家を出発です。
九度山に着いたのが9:30くらいでした。
無料駐車場がありました。

真田庵 http://www.kudoyama-kanko.jp/midokoro/spot01.html
善名称院、真田庵とも呼ばれ、真田父子の屋敷跡に建てられたお寺。本尊に延命子安地蔵菩薩を祀り、かつてはお地蔵さんとして賑わいをみせたこともあったそうです。



関ケ原の戦いで豊臣方に付いたため、徳川軍に高野山に蟄居(ちっきょ)を命じられ、

信州上田城より紀州へとやってきました。高野山での生活は寒くたいへんだったため、

麓の九度山町で生活したのではないかと言われています。

上田城(昌幸の城)↓
https://net-de-mile.blog.ss-blog.jp/2011-02-02

真田丸(大坂城の出城)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2016-12-07-1

岩櫃城(真田の城)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2017-04-30-1

小松姫のお墓(信之の妻)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2016-12-24-1

沼田城(信之の城)↓
https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2017-09-05-2

信繁戦死の地↓

https://net-de-mile2.blog.ss-blog.jp/2016-12-08


真田丸では 真田昌幸(草刈正雄) 信繁(堺雅人)


屋敷があったそうです。


昌幸はここで亡くなられたのでお墓があります。

幸村(信繁)という名は史実には出てこないそうです。
真田十勇士もフィクションだそうです。大助は

信繁の子供です。

おのおの方、抜かりなく!(昌幸のセリフ)





真田庵の境内にある、土蔵作りの資料館。

中には、真田家に関するもの、当時お泊りになった天皇のもの、大安上人に関するものなどが展示されています。
入館料:200円でした。
真田紐

六文銭は真田家の家紋 三途の川を渡る時の渡し賃で現代の50円×6=300円だそうです。
これを持っていればいつ死んでも三途の川を渡れるそうです。いつでも死ぬ気で戦ってる
という意味でしょうか。




ここに行けただけでも、和歌山の旅に来てよかったって感じでした。
明日に続く。。。